「御心が行われますように」 07.01.07
                    使徒言行録21:1〜16

 新しい年を迎え、私たちはこの年の生き方が、神さまの御心に
沿ったものでありたいと願います。私たちは、大きな決断をする時は
勿論、日常生活のさまざまな場面で、御心にかなう決断や判断を
しようと考えるべきです。そこにこそ、神さまと共にある、真に
祝福された道が開かれると信じているからです。
 神さまに従う生き方は、自分を犠牲にするので、自分らしく生きる
ことを妨げるのではないかと思う人もいます。自分の思いのままに
生きることが、一番自分らしいと考えているのでしょう。しかし、脆く、
欠け多く、揺れ動き、頼りのない自分の心に従っていくことでは、
自分らしく生きることは、決してできません。私たちをお創りになり、
生きる者としてくださった、創り主なる神さまの思いに沿うところでこそ、
本来の自分らしさが発揮されます。

 パウロは、御心に沿うことをいつも求めながら、伝道旅行を続けて
きました、そして、今エルサレムに向かって進んでいます、エルサレム
では、敵対者によって捕らえられる危険があることもわかっていました。
 パウロの身を案じる仲間は、エルサレムに行くことをやめさせようと
します。彼らは、エルサレムに行かないことが御心だと考えたのです。
 この時のパウロと仲間たちのように、どちらが神さまの御心に適うのか
判断に悩む時があります。パウロが選んだのは、自分の心に従うだけで
あれば、避けたい道でした。イエスさま抜きには進みたくないし、進めない
道でした。そこに神さまの御心に沿う道が開かれました。イエスさま抜きでも
進める道というのは、神さまでなく、人の心に従っていることがあります。

 私たちは、自分の心や経験や知恵による判断を、脇に置くべき時がある
ことを知っていたいのです。
 誤った判断をしてしまうことを過剰に恐れたり、それを責めたて
悲観する必要はありません。神さまは、修正してくださる方だからです。
 神さまへの信頼の中で、御心を問いつつ私たちは進んでいくのです。